雨の強い日だった。
昨日から降り続いていた。






愛しい






梨沙子が突然家にたずねてきた。


最初はまたくだらないわがままだと思った。
どこ行こうとか何して遊ぼうとかそういうのだと思ってた。

けど、今日の梨沙子はどこか違う。

傘もささずにびしょ濡れで。

いつもかまってオーラ全開でまとわりついてくるのに、
今日はどこか遠くを見ている。


「梨沙子、ちゃんと髪ふきなよ」



あたしが話しかけても返事をしない。


整った顔立ち。真っ直ぐな横顔。長い睫毛。

どこかちがうなんてもんじゃなかった。
初めて見る表情だった。

出会ってからずっと一番近くにいたはずなのに、
初めて見る梨沙子の表情だった。

何だかショックを隠しきれなくなって、
思わず梨沙子の腕をとった。


「ねえ、梨沙子?」


白い華奢な腕。
反応がないので、ほんの少し強く引っ張った。

途端に人形のように崩れた梨沙子。
あたしは突然のことでどうしたらいいのか分からず、
咄嗟に梨沙子を抱きとめた。

梨沙子はこんな状況にも動じずに静かに口を開いた。


「みや…」


消え入りそうな声。


「梨沙子?」

虚ろな目。心なしか、体が熱い。


「みや…」

「梨沙子、風邪ひいたんじゃ…」


あたしがそういいかけた瞬間、梨沙子はそっと私から離れた。
その行動が何を意味してるのか分からなかった。

どうして?
どうして離れるの?


「みやぁ…」


そこで初めて気がついた。

顔を覆った梨沙子。
さっきまで手にとっていた白い腕はふるふると震えていて。

うつむいたまま顔をあげない。


「梨沙子、ちゃんと頭拭いてて?熱出てるかも…」

何をしてあげたらいいか分からない自分がもどかしくて、
あたしまで泣きたい気分になった。

でもあたしはぐっとこらえて、
体温計とタオルをもう一枚取りに行こうと立ち上がった。


「…行かないで」


ぐっと強い力で腕がつかまれて、立ち上がれなかった。
それと同時に私の手の甲に悩みだが落ちた。


「みや…行かないでよ…」


そう言って泣きじゃくる梨沙子。

何で泣いているのか、
何のために、誰に向かっている涙なのか、
あたしは何も分からなくて。


「梨沙子…どうしたのよ…」


どうすることも出来なくて、
頼りない声でそう、言葉が零れ落ちるだけで。


「みや…行かないで…ずっとりーのそばにいてよ…」


どれだけ涙が溢れても私の手を離そうとはしない。
拭われることを知らない涙はまた一滴二滴と私の手に落ちては染み込んでいく。


私はそっと、梨沙子の頭を抱き寄せた。
腕のなかからきこえてくる嗚咽に胸が痛む。
細い髪の間に指を滑らせる。

そっと梨沙子の腕が背中にまわった。
小さな手はまだ震えていて。







みや


みや


行かないで…









泣きつかれたのか、梨沙子はやがて眠った。


眠る顔を見て、息が出来なくなった。



やっぱり熱だしてたみたい…

頬は紅潮していて寝息もどこか息苦しそうだ。


涙のあとは消えそうにない。
指先でその線をたどっていくと桜色の唇にたどりついた。
そっとそれに触れた。

自分でも何をしてるのか分からなかった。


「みや…」



起きたのかと思いさっと指をひっこめた。
けれど梨沙子は目は覚まさなかった。



「梨沙子…」


名前を呼ぶとまた息が出来なくなった。

どうしてだろう。
こんな気持ちは初めてだと思う。


「梨沙子…」


もう一度唇に触れる。
胸の中で愛しさが溢れだす。



気付けば、その唇に口づけていた。

あたしは全てを悟った。

この気持ちの名前も、痛みの理由も、
一瞬にして分かってしまった。

知ってはいけない感情を…

抱いてはいけない想いを…

あたしはいつの間にか梨沙子に…



そっと梨沙子の頭を抱いた。

胸の中でごそごそと動く梨沙子を、
ただ静かに抱きとめていた。

苦しそうにあたしの名前を呼ぶ梨沙子の顔を思い出して
涙が勝手に溢れた。


この気持ちをどうこうしようという考えはなかった。


ただ、愛しい気持ちでいっぱいだった。

梨沙子への愛で、溢れていた。












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